『文章のみがき方』 辰濃和男 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II さあ、書こう 4 正直に飾りげなく書く
「少年時代の文章は・・・・・生半可なことを分かりもしないで書き立てるよりも、自分の思ったこと、感じたこと、すはほに、正直に書くのが一番好い。文章の練習としてはそれが一番である」(夏目漱石)(抜粋)
冒頭の文章は、夏目漱石が『新国民』に寄せた「談話」である。文章の練習に励もうと思っている人は、まず自分の思ったこと、感じたことを素直に書くことから始めると良いということである。
ここで著者は、これはこれから文章の練習を始める人向けのアドバイスであると注意をしている。
思ったこと、感じたことを正直に書いてさえいれば、だれでも、自然に名文が書けるようになるというのではない。文章を練習するには、素直に、正直に書くことを積み重ねることは大切ですが、むろんそれだけではいけない。いい文章を書くために必要なのは「思想」だ、とも漱石はいう。思想というのは「ものの見方」とか「考え方」とか「見識」とか、そんな意味でいっているのでしょうか。(抜粋)
そして漱石は、その思想を養うには、人生経験を積み、あらゆることをよく考え、たくさんの本を読むことが必要であるとしている。
漱石が、すなおに正直に書くことをすすめた背景には、美文調の文章に対する反発があった。漱石は、そのような文章をまねてはいけない、それよりも自分の見たこと感じたことを写生的に書く練習をしなさいといっている。
しかし、写生といっても、ただ見たままを書いていたのでは上達が無いともいっている。
大切なのは「解釈だ」と漱石はいいます。自分を解釈する。人を解釈する。天地を解釈する。その解釈する力が他の人と違っていれば、そして他の人の解釈よりも深ければ、すぐれた文章が生れる可能性がある。(抜粋)
最後に著者は次のようにまとめを書いている。
- 私は、いわゆる「美文調」の文章にも、ある種の懐古的なおもしろさを感ずるものですが、それはそれとして、ごくふつうにエッセイ、記録、報告などを書く場合は、難しい漢字、難しい形容詞を使って文章を飾りたてることはやめたほうがいい
- あるものごとを書くには、その人の観察力、解釈力がものをいう、なんども繰り返しますが、いい文章を書くには、それらの力を強めてゆくことが必要になる。
関連図書:
夏目漱石(著)「文話」『漱石全集(二五)』、岩波書店、1996年
大町桂月(著)「高尾の紅葉」『日本の名山・別巻② 高尾山』、博品社、1997年
夏目漱石(著)「草枕」『漱石全集(三)』、岩波書店、1994年
II さあ、書こう 5 借りものでない言葉で書く
「自分の目、耳、肌、心でつかまえたものを、借りものではない自分の言葉でわかりやすく人に伝えること」(岡 並木)(抜粋)
冒頭で著者の先輩記者である岡並木の言葉を引用している。
現場へゆく。現場の様子を見、人の話を聞き、五感で得たものを大事にし、それを白紙の心にしいこませ、借りものでない自分の言葉で表現する。そういう一歩一歩の修業を積み重ねてゆく。そのことの大切さを岡は力説していました。(抜粋)
そしてその後に、つぎの井上ひさしの言葉に出会う。
「作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね」(抜粋)
著者は、井上と岡の言葉は、文章を書くということで究極の目標を簡潔に示しているといっている。しかし、それは、なかなか到達するのが大変な目標である。
そして、自分にしか書けない文章を著者は、画家ゴーギャンの『ノアノア』やH・Dソローの『森の生活』の中に見いだしている。
また、父や母のことを書いた作品には、心にしみるものが少なくないとして、芥川龍之介の息子で俳優の芥川比呂志の作品『決められた以外のせりふ』と作家・荻原洋子の『父・父・萩原朔太郎』を紹介している。
そして、自分の身近な人のことを書くことは、文章をみがく意味でも大切なことであるといっている。
著者は、最後に「借り物でない自分の言葉でわかりやすく人に伝える」のは至難の業であるが、その道を歩むほかにいい文章に近づく方法はないとし、最後にこの章を次のようにまとめている。
- 自分にしか書けないことを
- 自分の感覚、心でとらえ
- 借りものでない自分の言葉で
- だれにでもわかる文章で書く
そのためには、まず、身近な人、自分がいちばん興味をもっていることなどを書くことで習練を積む。
関連図書:
井上ひさしほか(著)『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』、新潮社(新潮文庫)、2002年
ポール・ゴーギャン(著)『ノア・ノア』、岩波書店(岩波文庫)、1960年
H・D・ソロー(著)『森の生活(ウォールデン)』(上・下)、岩波書店(岩波文庫)、1995年
萩原葉子(著)『父・萩原朔太郎』、筑摩書房、1959年
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