聞くことのちから、心配のちから(その1)
東畑開人 『聞く技術 聞いてもらう技術』 より

Reading Journal 2nd

『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章 聞くことのちから、心配のちから(その1)

ここから、第3章 「聞くことのちから、心配のちから」になる。第1章第2章と同じく初めに著者が朝日新聞に連載した「社会季評」の記事が全文引用されている。ここでも同様に「社会季評」の記事の内容をまとめ、その後、解説文のまとめに進む。それでは読み始めよう。
(第3章は、4つに分けてまとめることにする)

社会季評「心のケア、主役は素人 ささやかな毛を生やそう」:内容のまとめ

まず初めに著者が朝日新聞に連載した社会季評の記事「心のケア、主役は素人 ささやかな毛を生やそう」の全文が引用されている。最初にこの社会季評の記事をまとめる。

ここでは、ささやかな政策といいながら「心のサポーター育成事業」の話から始まる。

この事業は、政府が安心して暮らせる地域づくりのために「メタルヘルスやうつ病や不安などの精神疾患への正しい知識と理解を持ち、メタルヘルスの問題を抱える家族は同僚等に対する、傾聴を中心とした支援者」を10年で100万人養成する事業である。実際の中身は2時間程度のメンタルヘルスの研修を受講してもらうくらいなので、素人に毛を生やす程度の話である。しかし著者は、この事業について次のように言っている。

だけど、侮っちゃいけない。このささやかな毛がきわめて貴重なのだ。(抜粋)

メンタルヘルスケアは専門家が特別なことをするイメージがあるが、実際には、本当の主役は素人である。現実社会では多くの心の危機は、専門家の力を借りずに、なんとかやり過ごされていくのである。

ここで働いているのは、古くは哲学者カントが「世間知」と呼んだものの力だ。(抜粋)

この「世間知」とは、世の中がどのような場所で、人生はどのようなものかについて、ローカルに共有されている知のことである。この世間知のおかげで、いろいろな危機の傷つきや回復を想像することを可能とする。素人である普通の人たちは、この世間知に基づいて互いを援助し合っている。

しかし、この世間知はコミュニティーから人を排除する力もある。問題となっている人がこの世間知の範囲を超えてしまう場合、彼は世間知の理解できない存在となり、孤立してしまう。

このようときは、専門知が解毒剤となる。世間知で持て余してしまった人を、誰かが「これはうつ病じゃないか?」と、専門知を使って考えると、彼に医療機関の受診を勧めたりと、特別扱いができる。

この素人判断こそが、心のサポーターに生えたささやかな毛だ。(抜粋)

ここで専門家につながれば、彼の適切な理解につながり、厄介な人をケアすべき人に変えることができる。これが心のサポーターの背後にある「メンタルヘルス・ファーストエイド」の考え方である。

ここで著者は、この専門知がときに暴力になることがあると注意している。問題を抱えている人を「うつ病だ」「不安障害だ」と名指しすることは、本来まわりの人から見守られて取り組むはずだった人生の課題が、心理学や医学の問題とされる。これによりまた孤立してしまう。


ここの部分の「人生の課題」の意味によって文意が変わってくるように思う。人生の課題の意が、「誰もが心の内に秘める個人的な課題」にもとれるが「問題になっている症状」という意味にもとれる。最初は前者と思ったが、「まわりの人あら見守られて取り組む」とあるので後者かな?(つくジー)


心理士の仕事もこの専門知を活かすには世間知が必要である。クライアントの日常を想像できるためには世間知が必要だからである。

心理士もまたプライベートでは専門知の帽子を脱ぎ、自分の人生をきちんと生きるのが大切だ。そうやって世間と人生の苦みを知ることが、専門知を解毒することに役立つ。(抜粋)

現在の社会は大きく複雑なため、世間知だけでも専門知だけでも個別の心の複雑な事情を把握しきることは難しい。そのためこの世間知と専門知が互いに補いあって、苦しんでいる人の複雑な事情を複雑なまま理解することを試みるのである。

結局のところ、こころのケアとはそういう試みを積み重ねることなのである。複雑に理解されることが、その人らしさを保証し、コミュニティーに居場所を作ることになるからだ。それが孤立を和らげる。(抜粋)

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