『無気力の心理学 改版 : やりがいの条件』 波多野誼余夫/稲垣佳世子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第9章 効力感の社会的条件(後半)
「効力感の社会的条件」の前半では、われわれが生きている管理社会では、効力感をもって生きることが難しいと書かれていた。後半は、どのような社会的条件が変化をすれば、人々が効力感をもって生きていけるようになるかを、個人的水準そして集団や組織の水準で出来ることを考察する。
ここでは、まず今日の社会で、熟達に内的満足を持って生活している人々のことを考えている。著者はそのような人々は2つのタイプがあり、それは
- 企業体に属していない「スペシャリスト」(医師、弁護士など)
- 自営をしていたり企業に属しているが、生活の他の部分(趣味など)に価値を見出す「局外者」
としている。
「局外者」の極端な例はヒッピーであり、彼らは「熟達」を強調していなかったが、外的成功を拒否した。「スペシャリスト」は、高度な熟達のゆえに、企業体に対してある程度独立を達成し、地位と収入を得ている。
しかし、残念なことに、現代の管理社会では、こうした「精神的自由」は特権階級のものだといわざるをえない・・・後略・・・。
しかしそれだけに、スペシャリストにせよ、局外者にせよ、彼らの生き方が、管理社会への「抵抗」のひとつの形を示している、と評価してもよいのではあるまいか。(抜粋)
次に、イギリスや北欧のような福祉国家での問題について書かれている。
このような福祉の先進国では、失業しても失業手当でまずは人間らしい生活を営むことができる。そのため、「働かぬものは食うべからず」といった「外発的な動機づけ」は昔ほど効果的ではなくなっている。
このような状況では、もともと労働を熟達の機会ととらえていないような人々は、働く意欲を失ってしまうことが起こる。このような事態の対処として、著者は3つの対処をあげている。
- 1)福祉を抑えて一生懸命働かなければ生存をおびやかせる状態を作る
- 2)大幅な賃上げによって働く意欲を高める
- 3)労働に内発的な喜びを強調する
このうち1)は問題外として2)も一時的な効果はあるが真の効力感を生むことは難しいとしている。真の効力感を生むには3)の道以外はない。
3)を生むための方策として、「労働者の参加」という考え方があり、その例として、ボルボのスウェーデン・カルマール工場の例や愛知県の名南製作所の例をあげている。
定年や心身の障害で働く機会を奪われてしまった人は、何とか食べていけるが、やはり無気力感に陥ってしまう。最後に、無気力感に至るもう一つの道として、社会的弱者に対する「レッテル」の問題を解説している。
ここで、著者はランガーの研究を取り上げ、労働と福祉を統一的にとらえる視点として興味深いとしている。
ランガーたちは、「重要でない」というレッテルをはられたり、ないしはそれが暗示されるだけで人々は意欲を失う、と考えるのであるが、この観点から、老人の意欲に関心を払っている。(抜粋)
ランガーたちの実験は、文化の枠を超えて「弱者」に対してどのような対処をするのがよいかについて大きな示唆を与えるとしている。
9章の最初に書いたように、当時の社会的背景もあってか、現代的な眼で見ると少し違和感があることも書かれているように思う。特に現在「達成感を持てる人」として「局外者」をあげているが、極端と断りながらもその代表を「ヒッピー」としているのは、どうだろうか?むしろ彼らは管理社会からはじけだされて無気力になってしまった若者の代表ではないかと思う。(つくジー)
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