『無気力の心理学 改版 : やりがいの条件』 波多野誼余夫/稲垣佳世子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第3章 失敗にもとづく無力感
第2章では、乳幼児についての研究に基づき無力感の獲得などが解説された。第3章では、年長児や成人の無力感の獲得する過程が、研究より紹介されている。
年長児や青年は、乳幼児と違い自分で取り除けない生理的欠乏や苦痛に出会うことは少ない。しかし「失敗」の連続が、逃げられない欠乏や苦痛に「準ずる」効果を持つらしいことが分かっている。
もちろん、失敗そのものより、その失敗を何のせいにするかが、決定的なのである。(抜粋)
たとえば、自分の失敗の原因が、「自分の能力」が足りないからと思うか、「自分の努力」が足りないかと思うかによってその後の意欲が違ってくる。
このことは、ウェイナーによって理論化された。彼の理論によれば、失敗や成功に関する様々な原因は3つの次元で分けられる。
- 焦点の次元:原因が自分の内部か外部か
- 安定性の次元:原因が安定している(すぐに変化しない)ものかどうか?
- コントロール可能性:自分でコントロールできるかどうか?
著者は、本書の主題から特に興味深いのは、「能力」と「努力」であるとし、
「能力」・・・自分の内部、安定している、コントロール不可能
「努力」・・・自分の内部、変動しやすい、コントロール可能
としている。
ここで、自分の失敗を「能力不足」ととらえるか「努力不足」ととらえるかによって、その後の意欲がどうなるか、無力感が獲得されるか、さらにそれの「治癒教育」についてさまざまな研究結果が示される。
これらの実験により「努力起因傾向」の高い人は、失敗しても意欲的に取り組むことができ、反対に低い人は、無気力を獲得する割合が大きくなることが分かる。
しかし、ここで著者は、次のように「努力万能主義」を批判している。
以上のドウェクの一連の実験は、確かに興味深いといえよう。そして、「努力すればなんとかなる」と思うことの重要性をまざまざと示してくれた。だが、ここからただちに、「しつけや教育の場では、もっと努力を強調すべきだ」とか、「あきらめることを子どもに許してはならない」などと結論するのには疑問が多い。まして、「どんな場合にも努力することはよいことだ」「何事も努力しだいだ」ということにはならないのである。とくに日本のように、もともと努力が尊重されている文化のなかにおいては、かえって危険でさえある。(抜粋)
著者は、自分の努力に依存して環境内に好ましい変化を作り出すことができるという見通しや自信をどのように育てるかについて、くわしくは、後の章で述べるとしながら、次の2つのポイントを挙げている。
- 子どもたちに、自分に合った分野を探すように推奨する
- ただ「努力せよ」というのではなく、そのやり方の工夫することに重点を置くように促す
そして、最後に
あまり簡単にあきらめてもらいたくない、というのは正しい。しかし、なにもかも努力不足のせいにしない、ということにも、同じような重要性を認めておきたい。(抜粋)
として章を閉じている。
この章では、失敗を「能力」が原因(=自分でどうにもできない)と考えるか、「努力」が原因(=自分で何とかできる)と考えるかは、『ネガティブ・マインド』に書かれていた「機能不全的な自己注目」か「機能的自己注目」の話(ココを参照)と、重なる部分があると思う。ネガティブな状態では、「努力」すればなんとかなる状況でも「機能不全的な自己注目」のため、そのように考えられず、無力感を感じ、やがてうつにいたるということか?イロイロ複雑だね!
関連図書:坂本真士 (著)『ネガティブ・マインド : なぜ「うつ」になる、どう予防する』 中央公論新社(中公新書)2019年
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