古事記ーー言葉が生む悲劇
山口 仲美 『日本語の古典』 より

Reading Journal 2nd

『日本語の古典』 山口 仲美 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

I 言葉に霊力が宿るーーー奈良時代   1 古事記ーー言葉が生む悲劇

プロローグが終わって、ここから本編に入る。今日のところは「古事記」である。プロローグで著者は、本書の特徴を「主に言葉との関わり合いから古典を取り上げる」こととしている。確かに全編にわたって、「言葉」に関わるところは、太文字になっている。そしてもう一つの特徴の「一作品ごと一テーマの設定」も見逃せない。副題がそのテーマになっているようで、「古事記」では、「言葉が生む悲劇」である。それも意識していこうと思う。さらに、さらに奈良時代の文章の特徴として「言葉がまだ霊力を持っている時代で、言葉には現実を支配するエネルギーがある。」としてあってここも押さえなければ!では、読み始めるとしよう。


『古事記』

私たち現代人にとって、「言葉」は単なる記号です。何かの意味を表すしるしに過ぎないのです。だから、無責任な言葉でも平気で発しています。でも、奈良時代以前の日本人にとっては、口から発せられる言葉はその内容どおりの状態を実現する霊力があるのです。言葉に現実をあやつる力があると考えられていたのですね。「こと」として発せられると「こと」として実現してしまうのです。だから、言葉をむやみに発しては危険なのです。こうした「ことだま信仰」の残っていた奈良時代の和銅五年(七一二)に『古事記』が誕生。(抜粋)

と冒頭で、奈良時代の言葉の力について語っている。そして「古事記」の中の言葉は、現実を操る力があるものとして活躍している。

『古事記』は、上中下の三巻からなる。

  • 上巻:ヤマタノオロチの話など子供の頃の絵本で読んだ神々の話が詰まっている。これらの話は、天皇による天下統治の正当性を説く建国神話になっている。
  • 中巻:中巻下巻は、天皇の世界の成り立ちと継承を語る物語。中巻は神武天皇から応神天皇まで。中心人物は、神武天皇とヤマトタケルである。
  • 下巻:仁徳天皇から推古天皇まで。中心人物は、神徳天皇と雄略天皇である。

ヤマトタケルの話

この第1章では、ヤマトタケルの話を取り上げる。ヤマトタケルは、国土平定のために大活躍したにもかかわらず、父に嫌われて、天皇になりそこねた悲劇の英雄である。そして彼の悲劇は、つねに「言葉の問題」から起こっている。

景行天皇の子であるヤマトタケルは、幼名をオウスノミコトといった。彼には兄がいて、その兄が父の前に姿を現さない。そこで父がオウスミノミコトに

「何とかもなむちあしたゆうべおおに参ゐ出て来ぬ。むはら汝ねぎしおしさとせ」
(=どうしてお前の兄は朝夕の食膳に出てこないのか?よくお前からねぎらい教えさとせ)

と言った。ここでのポイントは「ねぐ」(現代の「ねぎらう」)である。その後も兄は姿を現さないため父はオウスミノミコトに尋ねると、オウスミノミコトは、

「既にねぎつ」(=十分ねぎらってやりました)と答えた。
父は「如何にかねぎしつる」(=どのようにねぎらったのか?)と聞くと、
「明け方、兄が厠に入った時、待ち受けて捕えて押しつぶして、手足をもぎとり、こもに包んで投げ捨てました」と答えた。

オウスミノミコトは、「ねぐ」の意味を取り違えて兄を殺してしまった。
このことにより父はオウスミノミコトの猛々しさ・強さに恐怖し、以後は彼を常時征伐の旅に出しておくことにする。


ここで、面白いのはやくざ仲間や運動部で「かわいがる」というと「痛めつける」「しごく」を意味すると同じように「ねぐ」を「痛めつけて始末する」という意がある(西郷信綱『古事記注釈』(第三巻))という著者の説明である。
なるほど、そういうことですね!間違っちゃったんだな!
でも、もしかすると、もともと気に入らなかった兄を父の言葉をあえて取り違えて殺しちゃった♪ってのが真相??・・・・・・そう思うと、悲劇の王子というより「仁義なき戦いー『古事記』編」みたいな感じになりますね(つくジー)


オウスミノミコトは、クマソタケル兄弟の征伐に向かった。そしてクマソタケル兄弟を成敗した時に、弟のクマソが死ぬ前に「あなたに名前をさしあげましょう」と言われやまとたけるのという名をもらう。クマソは相手に名前を与えることにより征服されたことを認めた。その後ヤマトタケルは出雲国に行きイズモタケルをだまし討ちにしている。出雲から帰京すると天皇はすぐに東方十二か国の平定を命じた。ヤマトタケルは、自分は父の命令を果たそうとして身を粉にして働いているのに父は自分を愛してくれないと嘆いている。

ヤマトタケルは、尾張でミヤズヒメと結婚の約束をして、東国を「言向けやわし」に行った。ここで「言向く」とは、服従を誓う言葉をこちらに向けさせること(神野志隆光『古事記の達成』)であり、「やわす」とは、平定することである。ヤマトタケルは、常陸・甲斐・信濃を「言向け」させて尾張に帰りミヤズヒメと結婚した。

しかし、この結婚がヤマトタケルの気持ちにゆるみを生じさ、伊吹山の神を「素手で直接打ち取ろう」と豪語して出かける。この時、途中で出会った大きな猪を伊吹山の神とは思わずに、ことげ」して、「この白い猪の姿をしているのは、この山の神の使者である。今殺さなくても、山から帰るときに殺すことにしよう」といった。
ここで「言挙げ」とは、言葉の呪力を働かせるために、大声で言い立てることである。ただし内容に誤りがある時には、呪力が逆に働いて「言挙げ」した側の力を無効にしてしまう
ヤマトタケルは、誤った内容を言挙げしてしまったために、伊吹山の神は大氷雨を降らし、ヤマトタケルはこと切れてしまった。この時、ヤマトタケルは歌った。

「倭は 国の真秀ろば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し」
(=大和は国の中でも最も素晴らしい所。重なり合った青垣のような山々、それらに囲まれた大和は何とも美しい)

著者は最後に次のようにまとめて第一章を終える。

父に嫌われ、にもかかわらず父の命令を最後まで勇敢に遂行し、日本を平定に導いたヤマトタケル。でも、その功績は称えられることなく、路傍で一人寂しく死んでいった。それは、人々の心に悲劇の英雄として刻印された。「言葉」によって、父の信頼を失い、服従の「言葉」を相手に言わせて諸国を服従させ、誤った内容の「言葉」を大きい声で述べ立てたことによって命を失ってしまった。ヤマトタケルの悲劇は「言葉」に始まり、「言葉」で終わる。「言葉」に出すことは、それのど重い意味を持っていたのです。(抜粋)

関連図書:
西郷信綱(著)『古事記注釈』(全8巻)筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2005-6年
神野志隆光(著)『古事記の達成―その論理と方法』東京大学出版会1983年

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