曾根崎心中ーー言葉が人形に魂を吹き込む
山口 仲美 『日本語の古典』 より

Reading Journal 2nd

『日本語の古典』 山口 仲美 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

IV 庶民が楽しむ言葉の世界ーーー江戸時代   25 曾根崎心中ーー言葉が人形に魂を吹き込む

近松門左衛門ざきしんじゅうは、元禄一六年(一七〇三)四月七日、大阪の「つゆのてんじんじゃ」を囲む曾根崎の森で実際に起こった心中事件を題材にしている。近松門左衛門は心中現場を取材して、僅か二〇日あまりで『曾根崎心中』を書き下ろし、五月七日に竹本座で上演した。この上演は、赤字続きの竹本座を見事黒字にした(『いまむかしあやつりねんだい』(享保一二年(一七二七))。

人形浄瑠璃の舞台は、詞章を語るゆう、語り手を先導する三味線弾き、人形操り師の三者からなっている。近松門左衛門は、太夫の語る詞章を書いた。ここでは、当時の姿で残されている『曾根崎心中』の詞章に注目してみます。一体、近松門左衛門は、観客をひきつかるために、どんな工夫を凝らした文章を書いたのか?明らかにしたいテーマです。(抜粋)

では、読み始めよう。

『曾根崎心中』の主人公は、醤油屋の手代・徳兵衛、二五歳とどうじましんの遊女・お初、二一歳である。二人は恋仲であったが、お初の見受け話や徳兵衛の縁談話などが起き、さらに金をだまし取られた徳兵衛は、濡れ衣まで着せられてしまう。そして追いつめられた二人は心中の決行する。

『曾根崎心中』の主人公は、醤油屋の手代・徳兵衛、二五歳とどうじましんの遊女・お初、二一歳である。二人は恋仲であったが、お初の見受け話や徳兵衛の縁談話などが起き、さらに金をだまし取られ、濡れ衣まで着せられてしまう。そして追いつめられた二人は心中の決行に及ぶ。

人形への感情移入

『曾根崎心中』の舞台には、無表情の人形しかいないが、その人形に詞章を使って感情を移入していく。著者は、観音巡りの場面でそのことを解説している。

観音めぐりでは、お初人形が登場し。大夫がお初の気持ちをこう語る。

人の願ひも我がごとく、誰かを恋の祈りぞ(=お参りする人の願いも、私と同じように恋の成就であろう。誰を恋する祈りなのかしら)」。(抜粋)
色に焦がれて死なうなら、しんぞこの身はなり次第(=恋に焦がれて死ぬのなら、ホントにこの身はどうなってもかまわない)」。(抜粋)
薄煙、空にきえては、これもまたゆくも知らぬあいおも(=空に消える煙をみては、これもまた行く末どうなるかも分からない二人の仲を示すかと思い悩み)」。(抜粋)

このように、将来を案じるお初の気持ちを人形に入れ込んでいく。そして、徳兵衛人形は、

立ち迷ふうきをよそに漏らさじ(=世間に立ち上がるお初と浮名をよそに漏らすまい)」。(抜粋)

と太夫によって、恋に悩む男なっている。

しっかりした心理描写で、魂のない人形に心を入れ込んでいく。観客はその人形をじっくり見つめる。すると、不思議にそう見える。表情のない人形だからこそ語りによってどんな心でも注入することが出来るのです。近松の詞章は、人形に魂を吹き込むことができるような心理描写をしているのです。(抜粋)

道行きのリズム

お初と徳兵衛は、あの世で夫婦になることを夢見て、曾根崎の森を目指す。この時の道中の文(=みちゆき文)を、著者は長文引用している。

此の世のなごり、もなごり。死ににく身をたとふれば、あだしが原の道の霜。一足づつに消えてゆく。夢の夢こそあはれなれ。あれかぞふれば、あかつきの七つの時が六つ鳴りて、残る一つがこんじょうの。鐘のひびきの聞き納め、じやくめつらくと響くなり。鐘ばかりかは。草も木も。空もなごりと見上ぐれば。雲心なき水のおと。ほくえて影映る、星のいもあまがはうめの橋をかささぎの橋とちぎりて。いつまでも。我とそなたはおとほし。必ずそふとすがり寄り。二人が中に降る涙。川のかさも増さるべし(=この世の最後、夜も最後、死にに行く二人の身をたとえると、あがしが原の霜が一足踏むごとに消えていくようなもの。一歩一歩死地に近づく。それは、夢の中で見る夢のようにはかなく哀れ。「あれ、数えると、暁の七つ(午前三時)を告げる鐘が六つ鳴って、残る一つがこの世での鐘の音の聞きおさめ、寂滅為楽と響いている。最後となるのは、鐘だけでない。草も木もそして空も見納めね」と言って空を見上げると、雲は無心に動き、水も無心に音をたてて流れている。北斗星は冴えて川の水面に影を宿している。その川を天の川と見立てて、牽牛織姫が渡る鵲の橋に、梅田の橋をなぞらえて、夫婦の契りをこめ、「いつまでも私とあなたは女夫星。必ず夫婦」とすがり寄る。二人の間に流れる涙で、川の水かさも増すだろう)。(抜粋)

リズムカルな名文は、全体が七音と五音からなっている。そして、状況説明と会話文が自在に入れ替わり漠然と一体化している文章である。

状況説明文が会話文に自在に移行できるということは、状況説明が登場人物の心情に寄り添っていった形でなされているということです。客観的な状況説明ではないのです。観客は、登場人物の心情に即した状況説明を聞いた後、その延長線上にある類似の心情を、もう一度登場人物のセリフという形で聞くことになる。違った言葉で二度説明されたのと同じ効果が出るのです。ということは、観客はより強く登場人物に感情移入できるといいうこと。(抜粋)

その後、いよいよ二人の心中の場面となる。「早く殺して」というお初の声に徳兵衛はわきざしを抜く。

いとしいと締めて寝し、はだやいばが当てられうかと、まなこもくらみ、手もふるひ、弱る心を引き直し、取り直してもなほ震ひ」(抜粋)

七五調で徳兵衛苦しみが語られた後、徳兵衛はお初の喉を掻き切り、自分の喉も掻き切ってついに果てる。
最後に著者は、次のようにまとめて章を終えている。

語りの真骨頂を発揮する近松浄瑠璃の詞章。どこをとっても美しく、リズムカルな七五調。観客が人形に魂を感じるような心理描写。観客が人形に強く感情移入してしまう効果的な文章構造。声を出して読むたびに、消してはならない日本語の伝統の灯火だと感じさせられます。(抜粋)

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