『日蓮 「闘う仏教者」の実像』 松尾剛次 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 立正安国への思いと挫折(その1)
今日のところから第二章である。第一章では、日蓮の誕生から清澄寺での修行時代(前半)、比叡山延暦寺での受戒と遊学、最後に清澄寺で行った「立教開宗」(後半)までであった。第二章は、日蓮が布教のため鎌倉に移り、『立正安国論』を幕府に提出するまでを扱っている。第二章は、その1で、鎌倉に移ってからの動向と『守護国家論』、その2とその3で『立正安国論』について、さらにその4、その5で、『法華経』と天台宗の概説、に分けてまとめる事にする。
日蓮がいつ鎌倉に向かったかは、はっきりしないが、建長八年(一二五六)の八月には鎌倉にいたと考えられる。それは、正元二年(一二六〇)に書かれた「災難対治抄」に、わざわざ「建長八年八月」と年月がことさら書かれている理由は日蓮の鎌倉移住の時期がその頃だったとする説による。(寺尾英知(著)『日蓮書写の覚鑁『五輪九字明秘密釈』について—日蓮伝の検討』)
日蓮は、名越に草庵を構える。この草庵は、現在「松葉ヶ谷の草庵」と呼ばれるが、日蓮の著作には、「松葉ヶ谷」の名は出てこない。名越は、鎌倉の東南の入口で、名越の切通しを越えて三浦半島に至る戦略上の要衝である。(松尾剛次『中世都市鎌倉を歩く』)
要衝であるこの地は北条氏の有力な一族である名越氏が屋敷を構え防衛していた。
日蓮がなぜ名越に草庵を構えたかははっきりしないが、名越氏の許可なしでは居住できなかったはずなので、従来は同氏が招いたからだといわれていた。
しかし著者は、当時まだ無名の日蓮が名越氏に招かれる他とは考えがたいとしている。そして、日蓮は官僧を離脱し遁世したとはいえ、天台山門派の人脈があったとし、とりわけ名越に近い鎌倉勝長寿院が天台山門派の拠点寺院であったため、名越氏に対して日蓮が名越に住む許可をえる口添えをする僧がいたのではないかと推察している。
名越で布教活動を始めた日蓮は、名越氏の被官であった四条頼基や名越の尼などの信者を得ている。
ここで、日蓮の辻説法について、鎌倉幕府の厳しい統制で困難という説(中尾堯『日蓮』)もあるが、著者は辻説法をしていたと考えている。著者は、商業都市として発展していた鎌倉では、辻説法が禁止されていなかった場所も多かったとしている。
ここより話は『守護国家論』の話に移る。
正元元年(一二五九)、三九歳の時に日蓮は『守護国家論』を著した。これは、法然の専修念仏、特に『選択本願念仏集』(『選択集』と略す)を批判した書である。
日蓮は、この『守護国家論』において七章に分けて念仏説批判を展開している。
第一章「如来の教えに権教(仮の教え)と実教(真実の教え)の区別を明かす」
ここでは、天台知顗の教相判釈(諸経典のランク付け)によって諸教の説かれた順を説明している。『法華経』に比べて、それ以前四十数年間に説かれた経は、小乗の教えに過ぎず、それゆえ念仏などの教えを捨てて『法華経』に帰依するべきとす
第二章「正像末について仏法の興廃あるを明かす」
ここでは、正・像・末という仏教における時代区分について説明している。
日蓮が活躍した鎌倉時代には、釈迦入滅を紀元前九四九年とし、永承七年(一〇五二)に末法に入ったという説が有力であった。正法は、釈迦が説いた正しい教えが伝わり、正しい修行と悟りを得る人がいる時代で、像法は、教えもあり修行もなされるが、悟りを得る人はいない時代である。末法は教えのみがあるとされる時代である。(抜粋)
法然は阿弥陀仏を選びとった本願の念仏のみが末法における唯一の極楽往生の行としているのに対して、日蓮は、『法華経』が末法の正しい教えとしている。
第三章「『選択集』が正しい教えを誹謗する由来を明かす」
ここでは、法然が「法華真言等」を雑行・難行・時期不相応とすることを批判している。
第四章「正しい教えを誹謗する者を廃滅すべき証拠の経文を明かす」
為政者が邪義である念仏を諫める責任を負っているとしている。
第五章「優れた指導者ならびに真実の教えに逢うことが難しいことを明かす」
第六章「『法華経』『涅槃経』に基づいて実践する行者の心の用い方を明かす」
第七章「問いに随って答えを明かす」
第五、六、七章は、『法華経』中心の立場から念仏批判を展開している。
以上の概要からもわかるように、日蓮は『守護国家論』において、教学的に法然の念仏説批判を行っている。これまで『守護国家論』は、天台教学に基づいて法然批判を展開したとされ、その独自性について評価が低く、さほど注目されなかった。しかし、近年においては、その独自性についても注目がなされている。たとえば、第五章において、『法華経』「普賢菩薩勧発品」の「この『法華経』を受持・読誦等する人がいれば、この人は釈迦仏を見るのである」等に依拠して、『法華経』が釈迦仏そのものであるから、釈迦仏は亡くなっていない。今も仏の在世であると主張している点などが注目されている。(末木文美士『日蓮入門』)(抜粋)
関連図書:
寺尾英知(著)『日蓮書写の覚鑁『五輪九字明秘密釈』について—日蓮伝の検討』吉川弘文館、2002年
松尾剛次(著)『中世都市鎌倉を歩く』、中央公論新社(中公新書)1997年
中尾堯(著)『日蓮』、吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、2001年
末木文美士(著)『日蓮入門—現世を撃つ思想』、筑摩書房(ちくま学芸文庫)2010年
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