『日蓮 「闘う仏教者」の実像』 松尾剛次 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 立正安国への思いと挫折(その4)
今日のところは第二章のその4、第二章は『立正安国論』を中心とした日蓮の話であった。その4では、一旦、日蓮からはなれ、日蓮が重視した『法華経』の教理論のまとめについてである。著者は
「こうした教理論に関心がない読者は、読み飛ばして第三章に進まれたい。(抜粋)
と言っている。それなら、ボクも、第三章に進む!・・・・・いや頑張ってまとめようと思う。
(この『法華経』の教理論の部分ですが、とっても詳しくって・・・・その4とその5に分けました)
日蓮は、天台宗とそれが重視する『法華経』を至高の経典として、絶対視していた。
結論的な言い方をすれば、当初は「最澄時代の天台宗へ帰れ」というのが日蓮の目標だった。それゆえ、日蓮を理解するうえで、『法華経』と天台宗の概要について知っておくことは重要である。(抜粋)
『法華経』
『法華経』は、サンスクリット語では「サッダルマ・ブンダリーカ・スートラ」という。それが漢訳され日本に伝わった。漢訳は三種あるが次の二種が重要である。
- 竺法悟 が訳した「正法華経」(二八六年)
- 鳩摩羅什 が訳した「妙法蓮華経」(四〇六年)
このうち「妙法蓮華経」の方が広まった。この「妙法蓮華経」は、二七品(章)であったが、後に「提婆達多品 [だいばだったほん]」が加わり二八品となった。
天台宗は、中国の隋代の智顗 [ちぎ] (五三八~五九八)によって大成される。彼は天台山を拠点としたため天台宗と呼ばれる。智顗の代表著作である天台三大部、『法華玄義 』『法華文句 』『摩訶止観 』である。ここでそれぞれの内容は、
- 『法華玄義』:「妙法蓮華経」の解釈により『法華経』の中心思想を解明しようとしたもの
- 『法華文句』:『法華経』の本文の注釈
- 『摩訶止観』:優れた止観(瞑想)の実践
である。それらに法華という文字があるように天台宗は『法華経』を最重要視した。
仏教の経典は、長い期間にわたって順次形成され、また中国には小乗、大乗の経典が同時に入ったため相矛盾するものがあった。そのため「教相判釈」という経典の整理・ランク付けがなされた。そして天台宗では『法華経』を釈迦が説いた根本の真理として最高の経典とした。
天台宗での教相判釈は、「五時八経」と呼ばれる。
五時
五時は、釈迦の説法年時より五期に分けた分類である。
- 華厳時 釈迦が悟りを開いてからに、『華厳経』を説いたが、誰も理解できない
- 阿含時(鹿苑時) 次の一二年間は『阿含経』を説いて小乗の機根(教えを聞いて修行できる能力)の者を誘引した。悟りの境地をそのまま説いても誰も理解できないことから、まず低次な教えから説いた
- 方等時 その後の八年間は、小乗を批判して大乗に引き入れるために『維摩経 』などを説いた
- 般若時 次に二二年間は、大小乗の執着を捨てさせるために『般若経』を説いた
- 法華涅槃時 晩年の八年間は『法華経』の一乗真実の教えを説き、最後の一日一夜、『涅槃経』によってこれまで漏れていた者すべてを救おうとした
この五時は、『華厳経』を別とすれば、低次の教えから高次の教えへと引上げ最後に最高の教えである『法華経』を説いた。(『涅槃経』は『法華経』の補遺的な存在である。)
仏教では、真実へ導くための手段を方便と呼ぶが、天台宗の教相判釈では『法華経』以前は方便の教えとなる。また『法華経』以前の教えは、「爾前 の教え」と呼ばれる。(抜粋)
八経
八経は複雑であるが簡単に言うと、
- 教えを導く方法(毛儀 の四教) 『頓教』『漸教』『秘密教』『不定教』
- 導かれる側の能力に応じた教えの内容(毛法の四教)『三蔵教(蔵教)』『通教 』『別教』『円教』
からなる。ここで『法華経』のみが、純粋に『円教』のみを説くとして、これを純円独妙の『法華経』という。そしてこの『法華経』が一代経教のうち最も優れたものであるとする。そしてこの『法華経』を根拠とする天台宗が最も優れた宗旨であるとする。
次に天台宗が『法華経』によって明らかにされたとする真実は、何かであるが、著者はそれを、「一乗思想」と「諸法実相」であるとする。
一乗思想
一乗思想は三乗思想と対比され、『法華経』以前では三乗が説かれたとされる。
- 三乗思想:人の悟りには「声聞乗」(仏の声を聞いて悟ること)「縁覚乗」(自らの縁起の真理を悟ること)「菩薩乗(菩薩として実践し、悟ること)の三乗がある。そのうち、「声聞乗」と「縁覚乗」は小乗の立場であり「菩薩乗」のみが大乗の立場であり、小乗と大乗は相いれないという考え
- 一乗思想:『法華経』の一乗思想では、三乗に区別が無く、すべての人は仏に成れる。(低次の小乗から始めた人も、仏の立場まで引き上げられる。)
諸法実相
「諸法実相」は「一切存在の真実の姿(本質)」という意味である。後に「一切存在がそのまま真実の姿を現している」と理解されるようになった。
智顗の天台三大部の『摩訶止観』では、諸法実相をより展開した「一念三千説」が説かれている。「一念三千説」とは「一念(ごくわずかな心)の中に全世界の真理が含まれていること」である。
まず、生あるものが存在する十の世界(十界 )が、自らの中に十界を含んでいるとする。ここで十界とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の世界のこと。
十界におのおの十界があることで百界となる。そしてその百界のそれぞれが十の要素(十如是 )を備えるとして千となる。ここで十如是とは、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末究竟等 )のこと。
さらにそれぞれが三世間(五陰世間、衆生世間、国土世間)を備えるとして三千となる。
日蓮は三千世界説を天台の最も中核と捉えていた。
コメント