『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第11章 種を蒔け、夜にも手を休めるな
朝、種を蒔け、 夜にも手を休めるな。 実を結ぶのは あれかこれか・・・・ 分からないのだから。 (コヘレト11.6) [新共同訳]
朝に種を蒔 夕べに手を休めるな。 うまくいくのはあれなのか、これなのか・・・・・ あなたは知らないからである。 [聖書協会共同訳]
コヘレトは11章の冒頭では、最悪の事態であっても、「パンを水に浮かべて流せ」と積極的な行動を促している。それは、悲観的な予測をしながらも今あるものを仲間たちと分かち合えという共生への促しである。
雨が雲に満ちれば、それは地に滴る。 南風に倒されても北風に倒されても、木はその倒れたところに横たわる。 風向きを気にすれば種を蒔けない。 雲行きを気にすれば借り入れができない。 妊婦の胎内で霊や骨組がどの様になるかも分からないのに、すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。 実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、分からないのだから。 (3-6節) [新共同訳]
雲が満ちれば、雨が地に降りそそぐ。 木が南に倒れても、北に倒れても、その倒れた場所に木は横たわる。 風を見守る人は種を蒔けない。 雲を見る人は刈り入れができない。 あなたはどこに風の通り道があるかを知らず 妊婦の胎内で骨がどのようにできるかも知らないのだからすべての神の業をしれえない。 朝に種を蒔き、夕べに手を休めるな。 うまくいくのはあれなのか、これなのか、あるいは、そのいずれもなのか、あなたは知らないのだからである。 [聖書協会共同訳]
ここでコヘレトは、わからないと否定的言葉を繰り返す。しかし、その後一転して「種蒔き」発言に至る。ここでコヘレトは、「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな」と徹底的に種を蒔けと言っている。
驚くべき思考です。一寸先は闇。これから最悪のシナリオを考えねばならない。何をしても無駄かもしれないし、すべてが徒労に終わるかもしれない。もう諦めるしかないという悲観的な結論に至る瀬戸際で、だからこそ最善を尽くし、徹底的に生きよと、コヘレトは勧めます。絶望の壁にぶつかって反転して希望に向かうように、コヘレトは最善を尽くし徹底的に今を生き抜け、と命じているのです。(抜粋)
はじめにの部分で、ゴッホの「種を蒔く人」が本の表紙になっていることにふれたけども、この今日のところが、その絵を選んだ根拠だと思う。そして、ミレーでなくゴッホであることも、感慨深いかなぁ~。ゴッホは、教会からは決別したんだけど、ある意味生涯信仰に生き、種を蒔き続けたんだと思うよ。『書簡で読み解くゴッホ』とか『ゴッホ<自画像>紀行』を見て下さいね。(つくジー)
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