ジョゼ・カバニス
ジャン=ルイ・ド・ランビュール 『作家の仕事部屋』 より

Reading Journal 2nd

『作家の仕事部屋』 ジャン=ルイ・ド・ランビュール 編
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

ジョゼ・カバニス – 私は時間に賭ける、それは卓越した小説家だから

ジョゼ・カバニス(José Cabanis)は、代々公証人を勤めるトゥールーズの古い家系に生まれ、弁護士(後に法律鑑定人)と作家の二つの職業を持っている。

仕事の方法

昼の時間を弁護士(法律鑑定人)に取られてしまうため、書く仕事は夜にしかできない。自分の書くもの(小説・エッセー)は、睡眠時間を極度に削って朝に二時か五時から夜明けまでの間に着想され、執筆されたものである。この夜に書くという条件と同様に本質的なものに、ずっと地方生活つまりパリ生活から切り離されているということがある。

私の作品はそういう二重の孤独のなかから生まれたものなので、歴史的エッセーにせよ、文学的エッセーにせよ、主観性の度合いをますます強めていくことがわかりました。そのおかげで私はたんなる客観博学を離れ、自分の書くものに個人的な情動性を盛りこむことができました。(抜粋)

仕事場は初期にはトゥールーズの中心部にあり、そこで第一期の小説五冊を書いている。そして、その後少年時代を過ごしたトゥールーズから10キロほど離れた田舎に引っ越した。そこで第二期の小説群が生れた。

仕事場は、トゥールーズ時代には、家が狭かったのでごく小さな書斎であった。そして、田舎に移った後は、広い大きな家にもかかわらず、結局その家で一番小さな部屋に落ち着いた。

そういう小部屋に落ち着いたという事実や、夜の孤独と田舎の孤立のなかで仕事をするという事実は、結局のところ、私の作品をひとつの総体として考えてみると、そこから浮かび上がってくる、それ自体に閉ざされた永遠の円環にふさわしいものなのではないでしょうか?(抜粋)

執筆では、あまり具体的事実についてのメモはとらない。メモをとるのは着想や小説技法に関するものである。事実を観察し、メモを取ることは決してない。

書くものすべて、初稿の冒頭の文章も、単なるメモも、直接タイプで打つ。これは、読み返しという試練を出来るだけ先に延ばすためである。小説は最初から最後まで加筆、訂正なしに、まずタイプで打つ。そして原稿の山をタイプの横に置いて良くない思う部分があるたびに表現を変えて、全体を撃ち直す。その作業を二度、三度、四度、五度と繰り返し、やっと読み返す。

自身の小説(エッセー)について

作品の円環構造には、あらかじめ練られた構想などはない。最初の小説(第一期)は、ごく短い作品がしだいにふくらみ、十頁程度のものから三百頁のものに成長した。そしてその小説の人たちの人生を想像しつづけ、他の小説が生れつづけた。小説のプランはあらかじめ練ってはいないが、様々な登場人物の生年月日と履歴を一覧表に記入して、矛盾が起きないように気を付けた。

第二期では、短い三作を書きあげた後、第一期のような壮大な小説群を書こうと思ったが、その創造に成功しなった。

最後に「小説作品がしだいに短くなり、結局全然書かれなくなった」ことを質問される。それに対して、自分の小説は「同じひとつの書物を形作っている」、第一期の登場人物は、形を変えて第二期にも登場している、と答えている。

第一期の小説と第二期のそれとの違いは、前者が三十歳の時に書かれ、後者は四十歳の時に書かれたということです。同じ世界を別の目で見るようになったのは、私自身が年をとったせいです。変わりばえのしない同じような小説を繰り返し書くのをさけたいなら、私は、今後もやはり、十年か十五年、時間を置かなければならなかったのです。
時間を賭ける事にして(というのも、とどのつまり時間は卓越した小説家だからですが)、とりあえず私は他のことをやりはじめたんです。しかし、もし時間があったら、そしてもろもろの条件がととのったら、ドミニックを話者とする第三期の連作を完成するつもりです。第一期、第二期の登場人物が全部そこにも登場するはずですが、彼らはまた別の目で、その時に自分がなっているだろう私の目、もっと年老いて、死に近づいた私の目で見られるはずです。(抜粋)

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