『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4回 幸せはどこにあるのか(後半)
幸せはどこにあるのか(前半)では、コヘレトは、社会を冷静に見つめ、虐げられたものの労苦をいとい、虐げる者を批判しているが、その視線は、常に弱い者に注がれている事について解説された。今日の部分(後半)では、コヘレトの社会風刺や現実的なものの見方にふれ、いまあるものに目を向けることの大切さについて読み解いている。
コヘレトは、鋭い観察眼で社会をリアルに分析し、批判している。この当時のユダヤ人社会は、貨幣の流通が盛んになり市場経済に翻弄されるようになったことが背景にある。そのため、その言葉は現代にも通じ、「誰のために私は労苦し、私自身の幸せを失わなければならないのか」というコヘレトの言葉は、まるで現代に生きる私たちに対する警告のようだと著者はいっている。
コヘレトの言葉には、権力者の批判も多くみられる。しかし、コヘレトは、「この世の中で、権力に抗わずに生きていけ」というスタンスを取っている。このようなコヘレトに対して、著者は次のように言っている。
コヘレトの時代、権力者に歯向かうことは、命を捨てるに等しいことだったでしょう。大事なことは、へベルである人生、残りわずかな自分の人生をどう生きるかです。王に歯向かっても、人生が好転する可能性は極めて低い。それどころか、命を失う危険がある。だからコヘレトは、王の悪事を知っても「悪事に関わるな」と言うのです。非常に現実的です。コヘレトは決して反体制的な人間でなく、徹底したリアリストなのです。(抜粋)
さらにコヘレトは、「心の中で王を呪ってはならない」「寝室で富める者を呪ってはならない」といい、「翼を持つものがその言葉を知らせてしまう。」といって「気をつけろ」と警告している。
コヘレトの時代は、権力者による不正がはびこり、常に監視しているような息苦しい社会であった。しかし、コヘレトの知恵は、このような悲惨な社会においても悲観ではない。コヘレトは、次のように言っている。
両手を労苦で満たして風を追うよりも
片手を安らぎで満たすほうが幸い。(4章6節)(抜粋)
コヘレトは、「両手」ですべてのものをつかもうとするよりも、「片手」で得られるもので満足し憩うほうがよい、「片手を安らぎで満たす」という生き方を勧めている。
これは、言い換えれば「今あるものに目を向ける」という生き方である。
コヘレトは言いました。「すべての人は食べ、飲み、あらゆる労苦の内に幸せを見いだす」と。それは、日常にありあふれた小さな幸せです。今あるものに目を向けて、「片手を安らぎで満たす」なら、飲み食いや労働という日常の幸せで心が満たされるのです。(抜粋)
「コヘレトの言葉」は、弱者に寄り添い、現実的な知恵を授けている。
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