『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第6回 それでも種をまく(後半)
今日のところは最終回、第6回目の後半である。前半では、コヘレトの死生観について概観された。後半では、コヘレトの生の肯定と「それでも種を蒔け」という言葉に迫っている。
前回に解説されたように、コヘレトは死ととことん向き合い、そして死から生への転換を果たしている。コヘレトは、「パンを食べよ」、「ぶどう酒を飲め」と言っているが、それは享楽を勧めているのではなく人生を肯定しているからである。
このような生の肯定は、やはりダニエル書にある終末論的な禁欲主義を問題にしている。コヘレトは人生無条件に肯定することにより、黙示論的な禁欲主義に反論している。
さらに、コヘレトは、「愛する妻と共に人生を見つめよ」「一人より二人のほうが幸せだ」といって、共生のすばらしさ、連帯のすばらしさを説いている。コヘレトは「空しい」と人生を儚む悲観主義者でなく、共同体をつくろうと建設的に語る知者である。
著者は、「コヘレトの言葉」は「今を生きよ」というエールであるとしている。
今、どんな状況であっても、あなたは命を与えられているではないか、だから、何があっても、生きて生きて、生き抜け。「コヘレトの言葉」を繰り返し読んでいると、そんな声が聞こえてくる気がします。(抜粋)
そして著者は、「コヘレトの言葉」の有名な格言を引いて、次のようにこの言葉の意味を説明している。
朝に種を蒔き
夕べに手をやすめるな。
うまくいくのはあれなのか、これなのか
あるいは、そのいずれもなのか
あなたはしらないからである。(11章6節)(抜粋)
蒔いた種がうまく芽を出すかどうかは、誰にもわかりません。どの種も芽を出さないかもしれません。未来の「時」は、人間には知り得ないのです。それでも、いや、それだからこそ、種を蒔き、耕す手を休めるなとコヘレトは言います。地に足をつけて、自分の人生を精一杯生きるよと言うのです。(抜粋)
最後の格言はこの章の表題にもなっていて、なかなか味わいのある言葉ですよね。朝種を蒔いて、あ、夕べも休めないんだ・・・・疲れない?とか、そういうことではなくって、たとえそれが実を結ばないとしても手を休めずに種を蒔き続けよ、どんな状況でも前を見て進み続けよ、ってなことですよね。そう思ってればちょっとやそっとじゃメゲナイ人になりますね、キット。(つくジー)
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