「ポートモレスビー攻略戦」(その1)
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著 
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第一章 餓死の実態 – 2 ポートモレスビー攻略戦(前半)

飢死にの実態の2つ目は、ガダルカナル戦と同時期に行われた「ポートモレスビー攻略作戦」である。


ガダルカナル戦は、米軍の上陸から始まった戦いであるが、このモレスビー攻略戦は、日本軍が主体的に計画したものだった。

つまり作戦地の地誌も、後方補給の方法も、十分に検討した上で立てられた計画だったはずなのである。それなのに実際には補給皆無の飢餓地獄が発生した。(抜粋)

モレスビーは、オーストラリア英領ニューギニアの首都でありオーストラリア防衛上の重要拠点あった。大本営は、ニューカレドニア、フィジーそしてモレスビー攻略するにFS作戦を決定し、第十七軍を編成した。しかし、ミッドウェイ海戦で主力航空母艦4隻を失いこの作戦自体が無くなった。しかし、大本営はモレスビー攻略を諦めずに、第十七軍に対しニューギニア北岸から陸路でモレスビーを攻略する作戦の研究を命じる。
しかし、ニューギニア北岸からモレスビーに至るには、標高四〇七三メートルのビクトリア山を主峰とするオーエン・スタンレー山脈を超える必要があった。第十七軍の司令官の百武中将は、陸路進行は極めて困難と意見を述べるが、この意見は消極的と司令部から無視される。ここで、辻参謀が、独断で「大本営ではすでに決定しているから、速やかに実行せよ」と命じた。

こうして補給の目途がまったく立たないのにもかかわらず、また、当の実行部隊が乗り気でないにもかかわらず、南海支隊を道のないジャングルを踏み分け、四〇〇〇メートルのスタンレー山脈を越えて、ポートモレスビーに向かって突進させるという無謀きわまりない作戦が開始されたのである。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました