ほんとうの新しい時代
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 より

Reading Journal 2nd

エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

三三 ほんとうの新しい時代

今日のところは第33章「ほんとうの新しい時代」である。「新しい時代」(第26章)は、ルネッサンスだったが、ここでは宗教戦争時代が終わった後に次第に形成されていく「啓蒙主義」についてである。

まず著者は、

もしきみが、トルコ包囲時代に生きたひとりの人間と話をすることができたとしたら、きっとびっくりするだろうね。まず、その話しぶりだ。(抜粋)

と語り始める。この後、当時の迷信に満ちた時代の常識がいかに現在の常識と違っているかについて語られる。

しかし、一七〇〇年頃から様子がかわってくる。異なる考え、異なる信仰を持つ人とも仲良くする、たがいに尊重し合い、他の異なる人とも仲良くする方が正しいのではないだろうか、という「寛容」の精神が当時生まれた最も重要な考えかたであった。

そして、人は「理性」をもって相手を他の人を説得できるが、「理性」を越えたところにある信仰は、尊重され、容認されなければならない、それが「寛容」の精神であり、「理性」は「寛容」についで二番目に大切なものである。

そして、「寛容」と「理性」を説く人たちは、その先に進んで「人間は根本的に平等である」ということのみならず、すべての人間が平等にあつかわれることも要求し、人々は神から平等に与えられた「権利」を持つと考えた。

一七〇〇年以降、まずイギリス、つづいてフランスでひろまったこのような考えは、「啓蒙主義」とよばれる。迷いの深い暗闇、すなわち「もう」を、理性で持って明るく照らす、すなわち「らく」からである。(抜粋)

このような考えは当時にあっては決して当たり前の物でなかった。
ここで著者は、

啓蒙思想の三つの原理「寛容」、「理性」、「人権」が、きみたちが生きることにおいて意味することを考えてもらいたいのだ。(抜粋)

と訴えている。

この「寛容」「理性」「人権」のために戦うことは大変なことであった。そしてこの啓蒙主義の理念のために先頭に立った何人かの支配者がいた。その一人がプロイセンのフリードリッヒ大王である。

一七四〇年からプロイセンを支配したフリードリッヒ二世(大王)は、著書で啓蒙思想を説いていたフランスの思想家たちと交際していた。彼はドイツ人国家を他が手本とする国にすることを自らの義務と感じ、拷問の廃止、農民の負担の軽減、裁判での平等など改革をした。

しかし、彼が最も望んだことは、プロイセンをドイツ最強の国家とすること。すなわちオーストリアの皇帝の支配を締め出すことだった。そしてオーストリアでは一七四〇年以降は、マリア・テレジアが政治をとっていた。そしてフリードリッヒとマリア・テレジアはほとんど生涯をとおして戦い続けることになる。

マリア・テレジアはフリードリッヒの敵であったが、多くの点で彼を手本とし彼の改革をオーストリアに取り入れた。また、彼女は使節を通してヨーロッパのほとんどの宮廷を味方につけた。さらに神聖ローマ帝国に楯突いていたフランスも味方につけ、フランスの王位継承者に彼女の娘、マリア(マリー)・アントワネットを妻に与えた。

一七六五年いらい息子のヨーゼフが皇帝(ヨーゼフ二世)となり政治もとった。ヨーゼフは、フリードリッヒや母以上に啓蒙思想のために戦い、死刑を止め、農奴制を廃止した。

そのような啓蒙思想が、ドイツやオーストリアで広がっていたころ、アメリカでは、イギリスとの長い戦の末、一七七六年に新しい国家と基本法のための自由と平等の聖なる人間の権利を宣言した。

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