『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー 著、岩波書店、2017年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
日本語版への序文(二〇一七年一月)
『「モディ化」するインド』を読み終わった。インドが大国化する中、モディ首相の登場では、ポジティブなイメージだったが、最近になってそのネガティブな面が報道され、さてどうしたのか?と思って読んでみた。インドの大国化と中国情勢の緊迫化の中でモディ首相は、大国間を上手に渡り歩き、インドを「民主主義国」から「権威主義国」へ変貌させている事実を見た。
それでは、インドにかぎらず世界情勢として「ポピュリズム」とは何だろうという思いもあって、『「モディ化」するインド』で引用されていた本書・ヤン=ヴェルナー・ミュラー(著)『ポピュリズムとは何か』を読んでみることにした(ココ参照)。
さて、今日のところは「日本語版への序文(二〇一七年一月)」である。それでは読み始めよう
まずは、「日本語版への序文 (二〇一七年一月)」である。著者はこの日本語版の序文を
本書は二〇一六年夏に出版されたが、それからいくつかの出来事があった。(抜粋)
と書きはじめている。つまり原書の出版の後、トランプ大統領の誕生という大きな出来事があった。
就任演説でトランプ大統領は、
ワシントンを占拠していた憎むべき異質な「エスタブリッシュメント」が打ち破られ、人民が再び統治するのだと宣言したのである。(抜粋)
注)「エスタブリッシュメント」=「社会的に確立した制度や体制。支配階級・組織」
ここで、トランプがしたように、あらゆるポピュリストは、「人民(the people)」と利己的で腐敗したエリート(=エスタブリッシュメント)を対峙させる。真にポピュリストを特徴づけているものは、「自分たちが、それも自分たちだけが真正な人民を代表するという主張」である。そしてこの主張は、いかなる反対派も正当でないということを含意している。
このような主張は、ウゴ・チャベス(元ベネザイラ大統領)、ヴィクトル・オルバーン(ハンガリー首相)、レジェップ・タイイップ・エルドリアン(トルコ大統領)らでお馴染みとなっている。
ポピュリストは、しきりに「人民の統一」を語るが、これは条件付きの人民統一である。ポピュリストは「真のアメリカ」のように「真の○○」という。そして、その「真の○○」から外れた人と対立し統一しようと試み、社会の分断が起こる。分断はポピュリストにとって問題ではなく、むしろ権力を確保する方法である。
それゆえ、ポピュリスト政治家が遅かれ早かれ「相手方にも手を差し伸べる」と考えるのはきわめてナイーブである。(抜粋)
ここで著者は、
しかし、暗いニュースばかりではない。わたしは、われわれが二〇一六年という恐怖の年 (annus horribilis) の過程で、いくつかの重要な教訓も学んだと信じている。(抜粋)
と語っている。
世界で起こっている「反エスタブリッシュメント感情」が趨勢や、ポピュリスト指導者たちが唱えるある種の「ドミノ理論」は、政治的に起きていない。
英国で起こったプレグジット(英国のEU離脱)は、単なる虐げられた者の「反エスタブリッシュメント」感情が自然にあふれたのではなく、保守党の協力が必要であった。トランプは大統領選において共和党のエスタブリッシュメントの支持を当てにできた。共和党なしでトランプは大統領に成れなかった慣れなかったのである。
また、ドミノや波といった表現についても、二〇一六年のオーストリア大統領選で勝利が予想された極右のポピュリスト、ノルベルト・ホーファーが敗れ緑の党のアレクサンダー・ファン・ベレンが勝利たことで疑わしいものになっている。
このオーストリアの大統領選は、西洋全体に重要な教訓を与えた。ここでは、保守政治家がホーファー反対をはっきり公言したことで、ポピュリストにかたむく地域とリベラリズムにコミットする地域に分断することが避けられた。
われわれは、ポピュリストや極端な政党だけに注意を払いすぎないことが重要である。われわれは、他の政治家にも注目しつづければならない。とりわけ保守政治家が「ポピュリストに協力しようとしているか否か」を監視しつづける必要がある。
ポピュリストに対抗する万能薬は存在しない、しかしまったく無力というわけでもない。
他の政治家がポピュリストのように (like populists) 話すのではなく、ポピュリストと (with populists) 話すように促そう。[ポピュリストに]協力する可能性がある保守主義者を監視し続け、彼らを説得し、ポピュリストと協働させないようにしよう(もちろん、もしポピュリストが、ポピュリストであることーーつまり反多元主義者であることーーをやめるならば、彼らと協働することは、民主主義においてまったく正統である)。(抜粋)
そして大切なことは、ポピュリスト支持者たちを不用意に「惨めな人々」と呼び退けないことである。
ここの部分は、なるほどと思った。現在、二〇二四年のアメリカ大統領選の真っ最中であるが、パリス副大統領とトランプ元大統領が激しく争っている。そんなかで、チェイニー元副大統領などの共和党の重鎮がトランプを支持しないと明言したり、ブッシュ元大統領も支持を表明しないなどの動きが出ている。このような状況は著者のいう「重要な教訓」のひとつであるだろう。さて、大統領選はどうなるだろうか?(つくジー)
関連図書:『「モディ化」するインド』湊 一樹 著、中央公論新社(中公選書)、2024年
目次
日本語版への序文(二〇一七年一月)[第1回]
序 章 誰もがポピュリスト? [第2回]
第一章 ポピュリストが語ること [第3回][第4回][第5回][第6回][第7回]
ポピュリズムを理解すること──袋小路
ポピュリズムのロジック
そもそもポピュリストは何を代表すると主張しているのか?
ポピュリスト・リーダーシップ
再論──では、誰もがポピュリストではないのか?
第二章 ポピュリストがすること、あるいは政権を握ったポピュリズム [第8回][第9回][第10回][第11回][第12回][第13回][第14回]
ポピュリストによる三つの統治テクニックとその道徳的正当化
政権を握ったポピュリズムは「非リベラルな民主主義」と同義なのか?
ポピュリストの憲法──語義矛盾?
人民は「われら人民」と言えないのか?
第三章 ポピュリズムへの対処法 [第15回][第16回][第17回][第18回]
ポピュリズムと破られた民主主義の約束
ポピュリズムに対する自由民主主義的な批判──三つの問題
代表の危機? アメリカの情況
ポピュリズムとテクノクラシーの狭間のヨーロッパ
結 論 ポピュリズムについての七つのテーゼ [第19回]
謝 辞
訳者あとがき [第20回]
原 注
人名索引
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