ポピュリストが語ること(その2)
ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』より

Reading Journal 2nd

『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第一章 ポピュリストが語ること(その2)

今日のところは「第一章 ポピュリストが語ること」“その2”である。前回・”その1”でポピュリズムの概念の混乱について解説され、そのポピュリズムの概念を本章でどのように扱うかについてのおおよその概要を示された。今日のところ“その2”は、「どうしてポピュリズム理解の共通のアプローチが袋小路に至る」かである。それでは読み始めよう。

ポピュリズムの理解と袋小路

一般的なポピュリズム理解へのアプローチ

ポピュリズムは、アメリカにおいては「進歩」的、「草野の根」的なものと結びついているが、ヨーロッパでは、リベラルな解説者によって「無責任な政策」や「様々な形態の政治的迎合」と結びついている。また、しばしばある特定の階級、小市民や農業を営む人々と結びついてきた。

このアプローチはたいてい、社会心理学から導き出された追加的な一連の基準を伴うことが多い。(抜粋)

つまり、ポピュリストに票を投じる人びとは「恐れ」「怒り」「不満」「憤慨」などの衝き動かされているということである。

そしてまた、歴史家や社会科学者の間には、ポピュリズムは、自らを「ポピュリスト」と呼んだ政党や運動に共通しているものを検討することによって規定できるという考え方がある。ここで問題は、ポピュリズムの適切な特徴を関連する歴史的アクターから読み取れるかということである。

著者は、これらの視座や簡潔な経験的基準のいずれも、ポピュリズムの概念化するのに有益でない、としている。


ここでは、前回に示された3つの視座、つまり

  1. 投票者の感覚に焦点を当てた社会心理学的な視座
  2. 特定の階級に着目する社会学的分析
  3. 政策提案の質の評価

を書いている…のだと思う。(順番が入れ替わっているが)そしてここから、著者の反論が行われる。(つくジー)


政治の質という視座

まず「政策の質」によってポピュリズムを吟味した場合はその政策が本当に無責任だと言えるかの判定は難しい。どんな場合でも責任と無責任の間に異論の余地のない線を引くことは難しいからである。どんな場合でも、政治的議論を「責任」対「無責任」の問題にすることは、いかなる価値やコミットメントに対して責任があるかに拠ってしまう。

階級や社会的集団の視座

ポピュリズムの主要な支持者として特定の社会経済集団に焦点を当てることも疑わしい

まず、ポピュリスト政党と呼べそうなものを支持する人たちが特定の収入や学歴を共有することは事実である。たとえばヨーロッパでは一般に右翼ポピュリスト政党に投票する人びとは、学歴が低い。

しかし、このような構図は、決してつねに真実というわけではない。(抜粋)

多くの調査で、個人の社会経済的な境遇と右翼ポピュリスト政党への支持は、しばしば相互に全く関連しないことが示されている

「不満」「怒り」「憤慨」など感情を伴った社会心理学的視座

また、ある国家や国民の没落や脅威への認識を、個人的な恐れや(地位をめぐる)不安に切り詰めるのもミスリーディングである。

著者は、ポピュリズムを説明する際に、「不満」や「怒り」などの感情を込めた用語を使うのは次の二つの理由で慎重になるべきだとしている。

第一に、resentment(憤慨)のような言葉を援用する解説者たちが、ニーチェの『道徳の系譜』を念頭に置かなくとも、ルサンチマン(ressentiment)の特殊な含意を完全に避けることは難しい。(抜粋)

ここの部分はむずかしい。憤慨という言葉が、ニーチェのルサンチマンという言葉の特殊な含意を完全に避けられない」ということをこのような用語を使うことを避けなければいけない理由のひとつであると言っているらしい・・・・が、ルサンチマンとは?なに?って感じでして・・・・とほほ。

なお、ルサンチマンについては、ウィキペディアのココなどを参照してください。(つくジー)


ポピュリズム政党に投票する人は、権威主義的パーソナリティや不愉快なパーソナリティを備えているという議論もある。しかし、彼らの「怒り」「不満」は明らかに表明されているわけではないが、根拠がないわけでもない。つまりそれらには理由があり根拠を説明できる。そのため、議論を単に社会心理学的なことに移すのは、理由づけに取り組むという基本的な民主主義の義務を無視することになる

さらに、ある政治信条の内容を、社会的地位や、支持者の心理的状態と結びつけるのは、かなり奇妙なことであり、説明するのが難しい。

ここで著者は、多くの人がこのような説明にたより続けている原因を、一九五〇年代から六〇年代にかけて絶頂を迎えた近代化理論に由来しているとしている。

ポピュリズムの歴史的視座

最後に、ポピュリズムは、最初に自らポピュリストであると呼んだ人々関連づけなければならないという考え方がある。

「ポピュリズム」と呼ばれるものは一九世紀末にロシアとアメリカで同時に生まれた。どちらも農民運動に密接に関連している。また、急速に近代化した社会の反動的で経済的に遅れた集団の反乱という考え方があった。

現在ではほぼ廃れてしまったがポピュリズムの起源が最下層のものを支援する、あるいは排除された人を関わらせようとする意味で、「人民的」であるという主張があった。

われわれがポピュリズムを妥当な理解をする過程で、歴史的にポピュリストと称するアクターのすべてを、その範疇に入れることはできないだろう。

どの歴史的経験が本当に特定の「--イズム」に当てはまるかを決めるためには、もちろんわれわれは特定の「--イズム」の理論を持つ必要がある。では、ポピュリズムとは何か?(抜粋)

関連図書:ニーチェ(著)『道徳の系譜』、岩波書店(岩波文庫)、1940年

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