『モチベーションの心理学 : 「やる気」と「意欲」のメカニズム』 鹿毛雅治 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 成功と自尊心―自信説(その6)
5 自尊心とモチベーション(後半)
一般に、自尊心が高いほど適応的で、モチベーションという観点からも望ましいと考えられるが、必ずしもそうでないことが分かっている。例えば自尊心が高い人は、成功を自分の手柄にしようとする一方、失敗を過小評価する。これは失敗経験から学ぼうとしない姿勢であることを示唆していて、長い目で見ると当人にとって望ましくない。
何を自尊源(=自尊心の源泉)としているかに着目し、学歴や地位、属性、所有物など外面的な物差しに依存する自尊心に対して、そのような外面的な性質に依存しない本当の自尊心(本来感)を区別して考えている研究もある。
外面的な自尊心はあくまでも疑似的なものであって、それを満たそうとする自己顕示には裏づけとなる内実が伴わないため、いつまでたっても本当の自尊心は満たされず、欲望だけが肥大化するという悪循環に陥るか、いずれ当人に空虚感が生じて無力感を覚えるなど、結果的に不適応状態に陥ってしまう。むしろ重要なのは、自分らしくいることで自然に感じられる「本来感」なのだという。(抜粋)
この点に関して、著者はマズローの自尊心に関する説明に言及している。(マズローの「欲求階層説」はココを参照)
マズローは、「自尊の欲求」(欲求階層説では、上から2番目)を次の2つに峻別した。
- 1.能力、達成、技能、熟達、有能さ、自信、自立などを通して満たされる側面(本来感に対応)
- 2.地位、名声、栄光、支配、評判、注目を通して満たされる側面(外面的な自尊心に対応)
そして、本来感こそ本当の自尊心であると強調している。
さらに、マズローは自尊の欲求を欠乏欲求に位置づけたことも注目に値する。いくら食欲があるといっても食べすぎが健康によくないのと同じように、自尊心を過剰に満たそうとすると不適応的な心理現象が生じる危険性に彼は気づいていたのである。(抜粋)
マズローの欲求階層では、最上位の「自己実現への欲求」以下の欲求は、この「自尊欲求」を含め、欲求が満たされないと発動し、満たされると終結する「欠乏欲求」とした。著者はこの点を指摘している。(つくジー)
ここで、重要なポイントは、自尊心とは、「これでよい(good enough)」という感覚を意味している点である。
自分には良いところも悪いところもあるが、あるがまま自分を受け入れている状態(自己受容)こそが重要なのであり、それは自己の優越性や完璧であるといった自己像を高く評価している感覚(優越感など)とは似て非なる状態なのである。(抜粋)
モチベーションという観点から重要なのは、自尊心そのものよりも、自尊心を満たすためにわれわれが何をどのように達成しようとするかである。
この点に関して自尊心の追及にはコストが伴うことが指摘されている。われわれは、自尊心を高めるために努力をするが、同時に自己が崩壊するのではないかという不安に脅かされる。自尊心の低下を避けるために、自分の都合が良い情報だけを注目したり、現実をゆがめて解釈したりするようになる。
昨今、「自己肯定感」という言葉が一般化し、その重要性が強調されている。親や教師が子どもの自尊心を高めようとするあまり、過度にほめたり、ネガティブなフィードバックを避けたりする風潮もある。このような自尊心をめぐる心理的、社会的営み、とりわけ自尊心を高めること自体が自己目的化したかのような実践が、モチベーションの問題をむしろ深刻化させている可能性がある。まずは、何を拠り所とした自己肯定感なのか、つまり当人とって何か自尊源なのかという点を見極めることが重要だろう。うわべだけの実質を伴わない優越感を追求することの弊害に留意しつつ、「これでよい」というレベルに自尊心を保つ節度や、それによって自己受容の感覚が伴われることこそが重要なのである。(抜粋)
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